カタラータ・カルパ物語 ~1年目12月(その3・了)~

早朝の練習を終え、社長は手狭なオフィスの一角へ
腰をおろす。デスクの上にはいつも通り朝刊が置いてある。
それを何気に手にとり開こうとした時秘書が部屋へ入ってくる。

「社長、おはようございます。お聞きになりましたか?」
「ああ、おはよう。で、何をだい?」
「やはり御存知ありませんでしたか。選ばれたんですよ!」
「んー、もう少しわかりやすく願えるかな」

開きかけた新聞を再び畳みながら気のない返事をする。
失礼しました、と興奮気味に話したからか少しはにかむ霧子。
その表情は一瞬で消え、普段の落ち着いた口調で答える。

「本年度のプロレス大賞のベストバウトに吉原選手が
 選ばれたのですよ」
「はぁ?」
「詳細はお手元の新聞に。表彰式は明日ですので
 準備の方、よろしくお願いします」

呆気に取られる社長にくるりと背を向け三歩進んだところで振り返り、

「ああ、そうです。先日お渡しした契約更改の資料も合わせて
 お願いします。契約更改は明後日ですので」

ぱたり、と静かな音を立てて扉が閉じる。

「建てつけが悪いのに大したものだね」

わざと余計な事を言いながら再び新聞を開く。
スポーツ欄を開くと飛び込んできた選手の写真に眉をひそませつつ
活字に目を走らせる。

「なるほど、確かに」

『ベストバウト:ミミ吉原対マリア・クロフォード』

その後他の大賞項目を確認するとそのまま新聞を畳む。
受賞理由を読む必要はなかった。

「こんな賞、目立ったもの勝ちの出来レースと思っていたが」

言って立ち上がると部屋に備え付けのポットへと向かう。
コーヒーはインスタント。どうせ味などわからないという理由からだ。
袋入りの砂糖をきっちり三分の一入れて口をつける。

「それにしても、嫌な気分だ」

薄く味のないコーヒーに顰め面を浮かべながら呟く。


翌日、プロレス大賞の表彰式が行われた。

(嬉しくない事はないのだが……しかしな)

男は式典の最中、にこりともしなかった。
その帰り都内の会場からの車中。

「すいません、社長に運転して頂くなんて」
「構わないよ。僕はあくまでも裏方さ」

ただ、と続けて

「煙草だけは吸わせてもらうけどね。寒かったら言ってよ」

窓を半分開け火を点ける。
男がそれを一息吸い込みふぅと煙を吐くのを確認してから、

「社長は今回の受賞を喜んではくれないのですか?」
「そんな事はないが、どうして?」
「その、ご機嫌悪そうですし」

言われた男はもう一口煙草を含むと、

「そう見えたのなら申し訳ない。ただ、な」
「手放しで喜べない、というところですか?」

しばしの沈黙。
男は黙って伸びてきた灰を窓の外で落とす。
それは重苦しいものであったが努めて明るい声で、

「この程度で満足している場合じゃないだろ」

しかしその努力は瞬時に打ち砕かれる。

「社長も悔しいんですね」
「ふぅ~。どうも僕は嘘がつけないな」
「私も同じ気持ちですよ」

男は再度、窓の外に灰を落とす。
紙巻の、ほんの少し燃えた部分が細かな塵となって飛んでいく。

「私たちが負けたという事はこれでは消せませんから……」

男はようやく自分がいらいらとしている理由がわかった。
吉原が言う事も、真岡が言い放った事も。

「一度負けたらそこで終わりなのかな?」
「え……?」

男はもう吸う気もなくなった煙草を灰皿に押し付けて、

「僕もようやくわかったよ。ミミさん、そんなに気にしないでくれ。
 栃木に帰ったらお祝いをしよう」
「え……?」
「なんだ、勘がいいのかと思ったらそうでもないのかい? あははは!
 言葉どおりに受け取ってくれたらいいんだよ! さあ急いで帰ろう!」

吉原は見た事もない雇い主のはしゃぎようをしばらく見つめていたが、

「はい、わかりました。でも社長、安全運転でお願いしますよ」
「ははは!こんな空いてる道、目を閉じてても大丈夫だよ!」

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