カタラータ・カルパ物語 ~1年目10月~

「よりにもよってこのタイミングでこんなオファーが……」

社長が頭を抱えていると、ノックの音。

「……どうぞ、開いてるよ」
「失礼します」
「ミミさんか。ちょうど良かった。貴方に話があったんだ」

ミミ吉原は丁寧に扉を閉め、雇い主の座るデスクに丁度三歩の位置で
足を止め、

「社長の仰りたいことはわかっているつもりです」
「言いたい事があるなら先に言ってくれるかな」
「私は社長が最初に言われた通りの中堅レスラーでした……」
「僕、そんな事言ったっけ?」
「直接は言われていません」

しばしの沈黙。どのくらいの時間が経っただろうか。
長かったのかもしれないし、短かったかもしれない。

「でも先月の興行ではっきりしました。先に、先に断っておきますけど
 私は自惚れてなんかいません。それを抜きにしてもらって
 聞いて頂きたいんですけど」
「僕は貴方が自惚れているなんて思ったことはないよ」

相槌を打ちながら社長は続きを待つ。

「ミミ吉原を見たい人なんて大していないことがわかりました」

社長は答えず立ち上がり、吉原に背を向ける。しばらくして、

「前言は撤回させてもらうよ」

振り向いて男は言う。

「……?」
「わからないかい?僕はミミさんが自惚れていると思ったことはないと言った。
 でも、それが間違ってた」
「え……?」
「自分で自分をまさに中堅ですと言っておきながら、手前が客を呼べると思っていた。
 それが自惚れでなくてなんて言うんだよ! お前に何ができるんだ!?
 空手も中途半端、関節技も中途半端! まだ空手でやってやろうって気概のある
 斉藤の方が芽があるよ!」

吉原は黙って俯く。

「僕は貴方をスカウトした時に鈍ってるんじゃないか、と言った。
 僕は面倒くさがりだから本当に鈍ってる人間にわざわざ本当の事なんか言わないよ。
 エースだって言われて舞い上がってたんじゃないの?」
「……私を」
「なんだい」
「その鈍ってる人間を半年見ていてわからない貴方はどうなのよ!」

そう叫んでシッ、と鋭く息を吐くと

「たあぁっ!」

気合いと共に右のハイキック。しかし会心の蹴りはあの日と同じく左腕に防がれていた。
初めて顔を合わせた日に撃ち込んだ左ではなく、解禁した右足。
防がれはしたが、あの日とは決定的に違う事に吉原が気付いたかどうか。

「いい蹴りだね。また前言は撤回させてもらわないといけないな」
「私はいつでも本気ですよ?」

男は右腕を軽く振りながら、

「わかってるよ。試合も練習も、それ以上の事についても本気な事ぐらいね。
 全部押し付けてしまって申し訳ないとは思ってるんだ」

腕を振るのを止め、男は視線を吉原に向ける。

「一度に三つも四つも物事を進めるのは大変だ。だから今は試合に集中して欲しい。
 そうすれば必ず結果はついて来るよ」
「でも……」
「大丈夫だよ。今日明日どうこうなる訳ではないし、幸い有能な秘書もいる。
 それに貴方もいるし」
「社長は、社長は私をここの……」

吉原はそこで言葉に詰まる。

「貴方がここのトップなんだ。それは間違いない」
「……うぅ……」

二人は押し黙ったまま長い時間が過ぎる。
夏の長い日が暮れていく頃、ようやく吉原が口を開く。

「そういえば社長。私に話があるとか」
「ああ、忘れていた。実は一日署長のオファーがあるんだけど」
「やります。やらせてください」
「しかし……」

吉原は手の甲で目の辺りを擦りながら、

「いいえ、やります。練習時間は確かに減りますけど、サボるために
 するわけではありません!」
「僕はこの話、蹴るつもりだったけど」
「私はなんでもやります。私がここのトップなんですから!」
「そうだね、貴方に任せるよ」

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