カタラータ・カルパ物語 ~1年目4月~

「ミミさん、ウチの設備はどうかな?」
「正直驚きました。特にジムが充実していますね」
「そこは一番気をつけたところだからね……。
 宿舎に不満はない?」
「東京から栃木という事で心配はしていましたが、宇都宮の
 駅からも近いしそれほど不便を感じないと思います」
「それは重畳……」

言って男は煙草に一本火を点ける。

「少し失礼して。ここまで聞いておいて申し訳ないのだが、
 貴方には早速海外に飛んでもらいたいんだ」
「え……?」
「貴方と会う前にTWWAと業務提携を結んだんだ。
 ミミさん、貴方にそこを見てきて欲しい」

意図がわからず黙って聞いている吉原を真っ直ぐ見据えながら
ふぅと煙を吐き出し男は続ける。

「難しい事ではないんだ。海外団体の設備を視察してきて欲しい。
 知っての通り、海外選手はまあ人種の差は多少あるだろうが、強い」
「確かにそうですね」
「うん。だけど同じレスラーだ。そうそう差がつくとも考えにくい。
 そこで僕は考えた。トレーニングのやり方が何か違うんではないかと」

男は再度煙草を吸い込んで、安そうな陶器の灰皿にそれを置く。

「ミミさん、貴方はこの世界に入って長い。その貴方が見て良いと思われる
 トレーニング法を海外で行っているならそれを持ち帰って欲しい」
「責任重大ですね……わかりました、私でできることなら」
「どうせすぐに興行は打たないからさ。バカンスのつもりで行ってきてよ」
「あら、遊びにいくつもりはありませんよ? せっかくだからトレーニングしてきます」
「……お土産は買って来てくれないの?」
「お土産はもう指定されてますよ? まだ他に欲しいものがあるんですか、ふふふ」


その日の午後。

「長々と待たせて申し訳なかったね。僕がここの社長です」

話し掛けられたテスト生はバネ仕掛けの人形のように勢いよく立ち上がって、

「斉藤です! よろしくお願いします!」
「ああ、こちらこそ。話は聞いている。空手をやっていたんだってね」
「はい!」
「斉藤彰子さんは全日本の王者にまでなった方ですよ」

と、秘書が補足する。社長はそれに頷きながら、

「我が団体はできたばかりだが練習は厳しいぞ。ついてこれるか?」
「厳しければ厳しいほどやりがいがあります!」
「ふふ、いい返事だね。ではまず最初の特訓だ」
「なんでもやります!」
「いいねえ、実にいい。では、僕に君の持つ一番を打ち込んできなさい」
「え……?」
「なんでもするんだろう? はやくしなさい」

斉藤は意図が読めず逡巡する。なにを試されているのか計りかねている。

「難しく考えないでいい。突きでも蹴りでもなんでも打ってきなさい」

斉藤は更に混乱する。素人に力を振るうなど……。

「できないなら帰れ。ウチに必要ない。ためらうな!」
「しゃ、社長無茶ですよ!相手は全日本王者ですよ!」
「うおおぉぉっ!」

秘書の声は斉藤の裂帛の気合いに消し去られる。
日本を制した中段蹴りを、自分の雇い主になろうかという人物に放つ。
そこに一切の迷いはない。

今まで何千発も蹴ってきたが、今回は最高のものだった。
しかし、それは一瞬前までポケットに手を突っ込んでいた男に防がれていた。
その男が笑いながら言う。そこに嘲りはなく、心底嬉しそうに。

「あっはは、全く持っていい蹴りだ。斉藤君といったね、ぜひウチに残ってくれ。
 僕が君の面倒を見る。僕には君が必要だ」

斉藤は呆けた顔でぺたりと尻餅をついた。
その眼前に差し出された、男にしては綺麗な手をしばらくして握り返す。


「今月はまず身体作りをしなさい。僕がコーチをしよう。
 来月からは厳しくやるからね。やり残したことは今月中にしておいてよ」
「は、はい……」

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