カタラータ・カルパ物語 第0話(その3)

「あなたですか、私に用というのは」
「いやー、すみませんねお忙しいところ」

言葉とは裏腹に少しも済まなさそうな風の男を見て、

「いえ、そんな事もありませんよ。それでご用というのは?」

こういう仕事をしていると、土地の有力者やなんやらと強引に
アポイントをねじ込んでくるものだ。バックに誰が居るのか問われた者は
聞いてはいないが普段通りにやれば問題ないという自信があった。

「あまりお時間を取らせるのも申し訳ないから単刀直入に。
 吉原選手、ウチに移籍してください」
「は? 移籍?」
「やや、これは性急に過ぎましたね。まずはこれを……」

男は汗を拭きながら安っぽい単色刷りの名刺を差し出す。
そこには『㈱カタラータ・カルパ 代表取締役』の文字が印刷されていた。

「社長さん?」
「まあ見えないでしょうが一応社長です」
「私をヘッドハンティングとは何かの間違いではないですか?」

聞いた事もない会社だった――できたばかりだから当然なのだが、
ミミ吉原は遠回しに否定をする。

「間違いではないですよ。私は本気です」

ハンカチをポケットにねじ込むと続けて、

「ついでに言えば僕は貴方のファンだから間違えるはずはありませんよ」

吉原は今まで数多の勘違いファンに悩まされてきたが、今回は別格だった。

「私の事をご存知ならば、私が今、所属している団体もご存知ですよね?」
「それはもちろん。新日本女子……日本で一番大きな老舗団体におられますね」
「そこまで知っておられて今回のお話なのですね? イエスというとお思いで?」

その台詞が最後通告だとばかりに吉原は踵を返す。

「そのまま鞘に収まって中堅で終わるのがあなたの望みですか?」

その台詞に三歩進んだところで吉原は足を止める。

「安定志向ならそれは構いません。特にこんな業界だ、賢いやり方でしょう」

吉原は背を向けたままだ。

「どうも私はレスラーに幻想を抱き過ぎらしい。今後の教訓にしますよ」

吉原は社長だと言った男が遠ざかる気配を背中で感じる。

「待ってください」

言って吉原は身体ごと振り返る。引き止めた相手は首だけこちらを向いている。

「なにか?」
「私が今の境遇に甘んじているとでも?」

首だけこちらを向ける相手に四歩近づく。男の姿勢はそのままだ。
吉原はプロレス界に飛び込んで来た頃を思い出しながら、

「これでも私がぬるま湯に満足しているですって……っ!」

同時に左足を振り上げる。怒りは頂点に達してはいたが右を使えば
手加減は出来ない。ギリギリのラインで理性は保たれていた。
左すねに手応え。

「……!?」
「……やはり鈍ってるんではないですか? ウフフ」

無防備な体勢の素人に蹴りを入れたはずであった。
この頃、レスラーは多少無茶をしても許される風潮があった。
そこには自罰的な日本人の性質も多々あったが。
蹴り倒されるはずの素人は左腕で必殺の蹴りを易々と受け止めていた。

「やはり貴方は鞘に収まって甘んじている人ではない。
 どうです、私と一緒に滝を登りませんか?」
「た、滝……?」

なんとか声を絞り出す吉原。

「あなたは龍になれる人物です。たとえ貴方自身がそうなれなくても」
「龍……?」
「貴方の魂を引き継いだ者が龍になります」
「あ、ああ……」
「吉原さん。ウチに来てください」


――1年目4月、ミミ吉原移籍交渉成功。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック